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「みんな天才」 俺は天才だと思う・・まで〜
建築設計 水谷純明
 水彩画もかいている。今夏は北アをやっつけた後、立山・大日岳の三山を縦走して、3015mを一気に降下し日本海に出た。早朝の海のスケッチがなかなかのモンだと思うが、世間様は芳しい評価をしない。世間様とは女房のことである。


建築学科ではデッサンが必修科目

 建築学科ではデッサンが必修科目で、毎週4〜5時間あった。教室に残って薄くなってきた光の中の石膏像を画くでもなく眺めていた。この、画くでもなく・・が重要なのである。クロッキーの同好会があった。蛮勇をもって参加した。ヌードなのである。裸身なのである。貴重かつ伝えるに足る経験であるが語らない。自由参加であった。応用科学のヤツがちっちゃな手帳を持って来ていたが立派であった。画くフリもしていた。アタマも良いのだろうフリに手抜きをしていなかった。ノーベル賞をあきらめてから水彩画をやり出した。俺は、実は天才なのではなかろうかと此の頃おもう。(みんなそう思っているのならば問題だ。)深いヒラメキである。秋になった故だろうか。

歌と絵は好きだった

 小学校五・六年頃の合唱の時、次からあなたは低音部をやりなさいと言う。そのうちに指揮をしなさいと言う。ただ指揮棒を8の字に動すだけで良いと言う。後年気づき、音楽を聴くことは好きだったので再生オンチと自ら命名した。
  遊びも勉強も世界が広がり、生活の中で絵の比重が減った事もあるが、主原因は成長して事象を観察する力が付き、絵画など創造された作品を見る機会が増え、技よりも意図、気持が先行していた事にあろう。視界の何処を切り取り、立体である世界をどう平面上で表せば良いかが解らなかった。てんで形がとれなかった。写実を意図しそれが出来なかった事になる。

誰でもが絵を画く望みと能力を持っている

 絶景や例えば花に出会って感激すると、ワーッと思う。その感動を誰かと共有したい、伝えたい、記録したい、自分の方法で表現してみたいと、これらの感情が同時に起こるであろう万人に。何もないところに形や色が生れるのは嬉しい。ニ・三歳児は短い線や形を紙にかく。やつらは自分の手を動かして、クレヨンの赤や緑が紙の上に現れるのを喜ぶ。そのうちにママの顔、一番好きなものを表現しようとする。見たままに。写実がはじまる。
 
絵画を大雑把に、綺麗・美しい・価値がある とに分けてみよう。ほとんどの人が、雑草よりも花のほうが好ましいと、綺麗だと思うだろう。うちの娘は幼児の時レコードジャケットの淡谷のりこを見て、ブスである趣旨の反応をした。淡谷よりもイングリッドバーグマンを綺麗だと俺は思い、世人もそうだったろうなに故か。

絵画の中の何かと自分の記憶の中の一つが共鳴

 知人の展覧会で絵を求める人の中に、その絵の風景が知っている場所である又は其処と良く似ているからと言う理由の人が何人か居たと聞いた。又、著名な風景の写真を持参し、それと比べてそっくりであると風景画に感心する人も居るという。これらは、その絵が見る人の記憶と直接に結びついている例であろう。
 
アニメーション「ポンポコ狸合戦」をTVでおおいに楽しんで見た。超能力を持った化け狸が、変化の術を用いてニュウタウンの丘を一瞬にして一昔前の緑豊かな里山に変えるシーンがあった。里の絵になると、ふっと気が和むのである。多くの人々がそう感じるであろう。絵画の中の何かと自分の記憶の中の一つが共鳴した時、見る人はその絵を好ましいと思うのではなかろうか。写実的な絵ほど相互の感応は直接的であり、見る側の反応は作者の意図と大きくはブレないだろう。共通の社会に立脚している場合(ミケランジェロの宗教画など)顕著である。

絵は写真に勝つ

 自然の風景や生物は、ただそこに有る。禅の話ではない、絵のはなしだ。絵画はその一部を切取って表現するものであるから、その過程で作者の意思がはたらく。偶然にせよ意図した事にせよ、ウデが関係したにせよ、誇張、強調、省略などが働き、なんてったって作者の念力が作用するから、絵は写真に勝つ。奥村土牛は「描写において絵は写真に優れる」と言っている。理由の詳述があったが忘れた。絵とは何か。
 絵とは・・・ムニャムニャである。

(中見出しは編集部がつけました。)




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